サステナブルとは?その起源と意味を考える|松下教授シリーズ

花びらにとまった蜂

[著者紹介]
松下 和夫(京都大学名誉教授)
環境行政、特に地球環境・国際協力に長くかかわり、国連気候変動枠組条約や京都議定書の交渉にも参画。持続可能な発展論、環境ガバナンス論、気候変動政策・生物多様性政策・地域環境政策などを研究。
松下 和夫 公式サイト


サステナブル(Sustainable)とは、本来は「維持できる」「持ちこたえられる」を意味します。そこから現在ではサステナブル(Sustainable)、サステナビリティ(Sustainability)とは、「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」を意味するようになっています。

現在、世界の人たちが共通の目標として取り組んでいるのが「サステナブルな社会(Sustainable Society)」の実現であり、「持続可能な発展(Sustainable Development)」です。
「サステナブル」という言葉が注目される背景には、現在の社会が「サステナブル」ではない、すなわち現状のままでは健全な社会が維持できない、ということが科学的にも経済的にも明らかになってきたことが背景にあります。

本稿では「持続可能な発展」をその起源にさかのぼり、その意味を改めて考えてみましょう。

閉鎖性経済の認識から持続可能な発展へ

まず「閉鎖性経済の認識から持続可能な発展へ」というお話をします。
宇宙から見た地球
(写真1)宇宙から見た地球
宇宙から見た地球の写真(写真1)は現在ではどこでもよく見られます。しかしこのような写真が撮れるようになったのは1960年代に入ってからです。1961年の4月16日に当時のソビエト連邦のガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行士として宇宙から地球を見た、その時の姿です。ガガーリンは「地球は青かった」と言ったと伝えられています(ただしこれには異論もあります)。たしかに青くて雲が多く、国境もなく、そして頼りない姿です。

人類が初めて人工衛星によって宇宙から見た地球の姿に触発され、当時アメリカの経済学界の重鎮(アメリカ経済学会会長)であったケネス・ボールディングが1つの論文を書いています。題して「来るべき宇宙船地球号の経済学」です。

「来るべき宇宙船地球号の経済学」

広大な牧草地
彼は当時のアメリカを中心とした世界の経済活動を「カウボーイ経済」であると批判しました。カウボーイはアメリカ西部を次々と開拓していきました。その方法は、豊かな森を拓いて牧場を造って牧草地にして、牧草が枯渇すると次の場所に移ったのです。これは略奪と自然資源の破壊に基づき消費の最大化を目指す経済であると彼は批判しました。そしてこれからは「宇宙飛行士経済」が必要であると主張しました。なぜならば「地球は一個の宇宙船である」「無限の蓄えなどはどこにもなくて、採掘するための場所も汚染するための場所もない。したがって、この経済の中で人間は循環する生態系やシステム内にいることを理解する」と述べたのです。

この論文が発表されたのは1966年で、今から55年も前のことです。もう半世紀以上前からこのようなことを著名な経済学者が警告していたのです。

彼は、「指数関数的な経済成長を信じているのは、狂人かエコノミストのどちらかだ」とも言っています。指数関数的な成長というのは複利による成長です。例えば 毎年10%経済が成長すると7年経つとその規模が2倍になります。日本も高度経済成長時代には年10%以上成長しましたし、中国はつい最近まで10%、現在では6〜7%の成長です。10%が7年続くと2倍に、7%だと10年で2倍、3.5%でも20年で2倍になります。経済活動が倍々になり、資源やエネルギーの消費もそれに比例して増えると仮定すれば、地球がいくつあっても足りないということはすぐにわかることです。

「無限の経済成長が可能」は神話

しかしながらこのような警告が出されているにもかかわらず、現在でも依然として「無限の経済成長が可能」との一種の神話が続いています。その前提は経済が量的にも無限に発展できると考えていることです。現代社会には様々な問題があります。それらの問題は、経済が成長して初めて解決できる、との神話もあります。

その結果、現在の世界のほとんどの国で、政府のパフォーマンスがよいかどうかの評価は経済成長の多寡により評価されています。しかしその前提が現在は崩れているのです。本来私たちが目指すべきは、社会の限界や経済の限界、環境の限界などの制約の中で、どのようにして人々の生活の質を向上し、人々の厚生(幸福)を持続的に改善していけるかが課題なのです。

このような問題意識から定義されたのが、「持続可能な発展」という概念です。この関連で最もよく知られているレポートは、1987年に国連の「環境と開発に関する世界委員会」(通称ブルントラント委員会)が出した、「Our Common Future」(「われら共通の未来」)という報告書(写真2)です。
レポート「Our Common Future」表紙
(写真2)「Our Common Future」©Brundtland_Commission
参考)国連環境省Brundtland_Commission

「持続可能な発展」の概念

この報告書の「Sustainable Development とは将来の世代のニーズを満たす能力を損なわないような形で現在の世代のニーズを満たす発展である」という定義はよく引用されています。現在世代と将来世代の世代間の公平性を確保しようという内容です。言い換えると、「今の世代のニーズを満たすことだけを優先して、将来世代の可能性を奪ってはならない」ということになります。

これは地球の資源の利用などを巡り、現役世代と次世代の子供たち、そして今後生まれてくる世代との間で不公平があってはならないことを意味します。また同時に同じ世代内であっても、極端な格差で不公平になってはならないという意味も含まれています。

実は、ブルントラント報告書にはもうひとつ定義があります。それは、「資源の開発、投資の方向、技術開発の傾向、制度的な変革が、現在及び将来のニーズと調和の取れたものとなることを保証する変化の過程」という定義です。これは、私たちが望ましいと考える将来のビジョンを描き、そのビジョンの実現に向けて、現在どのような資源の開発をするか、どのような技術を開発するか、どのように制度を変えていくか、そのような連続的で不断の変革のプロセス、ダイナミックな発展のプロセス(過程)を持続可能な発展であるというふうに定義していると言えると思います。

ブルントラントさん(写真3 中央)はノルウェーの首相をされた方で、元々はお医者さんでした。お医者さんから政治家になり、最初に大臣になったのが環境大臣で、その後首相になり、当時の国連事務総長から「環境と開発に関する世界委員会」の委員長を依頼されました。1984年に発足した委員会は世界の21名の賢人、世界的オピニオン・リーダーから構成され、3年間の熟議を経て1987年に報告書を出したのです。

この報告書の持続可能な発展が1992年のブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミットの中心概念となりました。ブルントラントさんはその後 WHO(世界保健機関)の事務局長もされて、AIDSの撲滅やタバコの消費抑制などの活躍をされています。
ブルントラント氏と松下教授
(写真3)ブルントラント元ノルウェー首相(中央)、(左は筆者) ※著者撮影

「持続可能な発展」についての3原則

持続可能な発展についてはいろいろな定義があり、議論がありました。
その中で環境面の持続性について今でもよく引用される考え方が、アメリカの経済学者ハーマン・デイリーのものです。現在でもハーマン・デイリーの3原則がよく使われて、現実にドイツの国家環境持続可能発展戦略にそのまま引用されています。その内容は割合シンプルでわかりやすいものです。

資源は 2つに大別できます。ひとつは再生可能な資源、もうひとつは再生できない資源です。
森林や土壌、あるいは魚介類などは再生可能資源ですが、そういった資源は再生できる範囲で利用するのが第1の原則です。例えば森林を伐採して木材として利用する際には、伐採した跡地に植林をすることが必要です。
杉の木が植林された山肌
化石燃料や鉱石、地下深くに堆積されている化石水は一度使ってしまうともう使えないので、枯渇性であり再生不可能な資源です。再生不可能な資源については、それに代わる代替資源が開発されるスピードの範囲内で使うのが第2の原則です。たとえば石炭や天然ガス(再生不可能な資源)を使って燃やして電気を作っているとすれば、それはできるだけ早くそれに代わる風力、太陽光、バイオマスなど(再生可能な資源)の電源に取り替えるべきです。
太陽光発電パネルが浮く湖
また、汚染物質については、環境が自浄できる範囲内でのみ使うことにすること、が第3の原則です。たとえば海洋に排出されたプラスチックは、自然の中では分解されません。したがって回収できずリサイクルされないプラスチックは本来環境中に排出してはいけないことになります。
海洋プラスチックゴミが流れ着いた浜辺

以上のような原則を直ちに実行することは難しいと思われるかもしれません。しかしながら私たちの日々の生活を足元から見直すとともに、企業が生産する製品を変えていく、資源の開発の仕方を変える、新たな技術を開発する、そのために社会の制度を変えていく、など、様々な取り組みを速やかに進めることが必要とされるのです。


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